故郷の地に菓子店を。地名を冠したその想い。
bake torigoe和田芳恵さん
きく
地元・鳥越で菓子店を営む
和田芳恵さんが生まれ育った鳥越村は2005年の白山市合併で地名としてなくなりました。
「地方に暮らしていると、外に出てみたいって思うことが一度はありませんか。私も例に漏れず、高校卒業後、名古屋の専門学校に進学し、しばらくは向こうで働いていました。合併の頃は名古屋にいたと思いますよ」。
そんな和田さんがなぜ地元に戻り、さらに故郷「トリゴエ」を冠した店を開くまでになったのでしょうか。
季節を感じて暮らしたい
名古屋の専門学校卒業後、イベントの裏方仕事をしていた和田さんですが、当時ルームシェアをしていた友人が名古屋を出ることになり、それなら自分も石川へ戻ることに。後にフリーペーパーを作る出版社に転職しました。
「当時は残業も多い仕事だったため、移動に合わせて住まいを金沢に移し、営業や編集の仕事に没頭していました。
そういう情報を扱う仕事をしていたせいか、テレビや雑誌で紹介される流行やグルメなどにすぐ目がいき、興味がある場合は現地に足を延ばすことをしていました。特にグルメやスイーツが大好きで、外で食べたものをもう一度食べたいと思うことも多く、『自分で作ってみよう!』と、実験のような感覚で料理やお菓子を作っていたんです。
お菓子作りは子供の時から好きだったのですが、大人になってからは小さな達成感も感じられ趣味として楽しんでいました。時には仕事で誌面用にお菓子を作らせてもらえることもあったんですよ」。
仕事はやりがいを持って取り組み、趣味も楽しむ一方で、和田さんはある思いを抱いていたといいます。
「出版業ってやっぱり忙しくて、気が付くと季節が変わっていたなんてことも多く、充実感はあっても、どこか心のゆとりを持てずに過ごしているなぁと。20代の終わりにふと感じたことがあったんですね。
その頃に将来の生き方について考えるようになりました。何がしたいか、何ができるのか。そんなとき、ぼんやり浮かんでいたのが自分でお店を開く、という理想でした 」。
30代に入り、少しずつその思いが強くなっていき、言葉に出すようになっていきました。その間に結婚、出産など転機も重なるなかで、ご主人が一言、「自分のお店をやってみたら?」と言ってくれたそうです。
その言葉を皮切りに、周りの人にも納得してもらえるようにもっと腕を磨かなければと思い、連日お菓子の試作を実行。
何度も試作を重ね、周りの人に意見やアドバイスをもらっていくうちに、同僚や親族たちからも背中を押してもらえるようになったといいます。
「本当にできるのか不安もありましたが、家族や周りの後押しもあって勤めていた会社を辞める決断をしました。そしていざ店を持つことになり、悩んだのが立地でした。始めは当時住んでいた金沢の住まいからも通えるようにとか、集客を考えれば金沢や野々市あたりがよいのではないかとか考えていました」。
「鳥越っていいね」が忘れられない
どこで店を開くのか悩んでいた和田さんは、お店をしたいと思い始めていた頃に営業先で言われたある一言に思い至りました。
「私もいつかお店してみたいです!と話すと、その方に『鳥越っていいところやがいね!』って言われたことがありました。その時は、なぜ鳥越なんだ?と思っていたのですが、話を聞けば、『鳥越のお米はおいしいし、豊かな自然がいっぱいある!そこに憧れる人はたくさんおるよ!それをもっとうまく活用していく若い人のエネルギーが必要なんやから、あんたがそれをしたらいい!』と。
それまで私が当たり前のように見過ごしていたことがその方にとっては、鳥越という地域の良さなのだとおっしゃっていたんです。改めて地元の価値に気付かされた瞬間でした。
この時は何気ない会話だったですが、それから何年もずっと私の心の中にあって、ふと店の場所として鳥越はどうだろう?って考え始めたんです」。
旧鳥越村で店を開くとなると、自宅から通うには厳しく、暮らしの拠点も考えなければなりませんでした。
「その時私は、夫の実家で彼の祖母と暮らしていましたが、お店をするということを知った海外に住んでいた義理の両親が二つ返事でこちらに戻ってきてくれると言ってくれて。おかげで祖母を一人にすることもなく、安心して鳥越に U ターンでき、そのことにも感謝しています。
はじめは心配していた私の両親も、同居をはじめ納屋を店に改装することにも許可をくれて、店の立地と住まいが決定しました」。
地域のために働く意義
この場所で店を開くことには心配する声も多かったそう。
「私も始めは不安でしたが、今は自分が想定していた以上にたくさんにお客さんが足を運んでくださって、感謝の毎日です。金沢や野々市の市街地からは少し遠いイメージもありますが、ツーリングやドライブを楽しむようにして寄ってくださる方も多く、ついでに白山麓の飲食店や綿ヶ滝を楽しみに盛り込んでいるお客様も少なくありません。
オープンしたのがコロナ禍だったこともあり、通販やテイクアウト需要も高まっていたので、足を延ばしてもらうだけでなく、鳥越から全国へ向けて届けられるサービスも視野に入れて運営をしています。そう考えれば、店を開くなら集客の事を考えて街中でという縛られた考えに捉われず、実際は地方や田舎でもできることはたくさんあると感じています。
これから将来、若い人たちが白山麓で暮らし、起業を考えている人の参考になるお店づくりをしていけたらうれしいですね」 と和田さん。
店内カウンターには、パウンドケーキに、スコーン、フィナンシェなどの焼き菓子が所狭しと並び、パッケージには一つ一つに店名の「bake torigoe」が入っています。
「町村合併により当初あった地名の“鳥越”の名がなくなってしまい、地元の方だけでなく、ここに鳥越村という場所があったんだよということを広く多くの方に知ってもらいたくて店名に「トリゴエ」と付けました。
確かに人口減少や空き家問題を抱えているということもこの地域の事実ですが、それでも鳥越という名前が消えてしまったのは寂しくて。ここにトリゴエって付いていれば、店名の由来をお伝えするたびに、鳥越の地名を残していけるのかなと思うんですよね」。
また、この場所ならではの今後の展開についても思いをつづります。
「街中とは違って、鳥越だからできることもあると思うんですよね。例えば、近所の方が差し入れしてくれたおいしい野菜や惣菜で思い付いたのが、この地域の方々がつくったものを買い取らせてもらい、なんらかの形でお店を訪れた人にも食べていただくこと。お客さんは地域の味を楽しめますし、地域の人には自分のつくったものが売れて食べてもらう喜びにつながるし、そのようにこのお店を通して地域を巻き込んだ取り組みができたらいいなって 」。
地域貢献、活性化への可能性も広がっているようです。
家族との暮らしの時間を大切に
大人になってからより強く地元の住み心地は良好に感じるといいます。
「自然も多く子育てする環境としてもいいですよ。娘の保育園も近く、何かあってもすぐに駆け付けてあげられます。
何より自然の中で育まれる感性や、遊びもたくさんあるのも魅力の一つです。朝から鳥の鳴き声を聞いたり、空の色を眺めて呼吸したり、そんないかにものどかだなぁと思える瞬間が一番贅沢な時間のように思います。
立地的に買い物や出掛ける際に車は必須ですが、白山麓は道が入り組んでいたり交通量が多かったりするわけではないので、そんなにストレスも感じません。
白山麓での暮らしは、以前の私が取り戻したかった季節の移り変わりを肌身で感じられ、思い描いていた形の仕事もできる。思い切って 起業とUターンすることを決めて良かったなと今は思っています 」。
田舎暮らしや山の暮らしに憧れはあるけれど、ショッピングモールなどの便利な場所からも離れたくない、そんな程良さを求める人にとって、白山麓地域は打って付けかもしれません。
故郷へ帰り、焼き菓子店をオープンさせた和田さん。
季節の移ろいや空の広さを感じながら仕事をし、暮らしています。
今後はカフェスペースの営業やインターネットでのお菓子の販売、地域を巻き込んだ広がりなど挑戦してみたいこともたくさん。
山間のこの場所でもできること、この場所だからこそできることをこれからどんどん見せてくれることでしょう。
店舗詳細
bake torigoe
- 住所
- 石川県白山市下野町ロ182-3
- 営業日時
- 水・土・日 11:00〜16:00(売切れ次第終了)※不定休あり
- SNS
- ▶Instagram@bake_torigoe
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